東北で何年か生きること

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今朝方は,今日はどうすごそうか漠と思っていた。久しぶりにアポが無かったので家で過ごしてもよかったのだが,結局ちょっと行く用事を作って,研究室で書類書きなどをする一日となった。昼頃に学生とエントリーシートをどう書くかについて雑談を少しした。事務方や先生方と2,3簡単なやりとりをした。あとはなるべくメディアを見ず,Twitterの画面もいつもより少なめにして,多めに水を飲み,ひとりで平穏無事に過ごした。黙祷の校内放送が流れていたが,結局何か入力していてその1分を過ごした。帰宅してからさっきまで2,3時間ばかり寝ていたので,もうすぐ3・11は終わろうとしている。

自己紹介をするときに,地震を”躱してきた”人生だったという紹介の仕方をすることがある。出身は神戸なのだが,阪神大震災の時には転勤族の親の都合で,福島県白河市に住んでいた。2011年の3月は諸事情で神戸の実家に戻っていて,東京にもいなかった。縁が無いわけではなく,縁がある土地が被災し,それを自分自身では経験していないということ奇縁を,3・11で感じるようになった。

博士課程を修了し就職する段になって,もし機会があるならば東北で勤めたいと思うようになった。仕事上のことを考えれば東京にいた方が便利であることは明白なのだけど,もしかなうなら人生の数年ぐらいは東北で過ごせれば良いなと漠然と思っていた。ポストが空くかどうかは運なので,選択肢のひとつ程度ではあったが。2014年の初めぐらいに某大の面接に落ちて結局かなわない夢に終わるかと思った。チャンスを逃した,というよりも面接の最後で涙目になってしまってもうだめだったことを覚えている。個人的な思い入れはプロフェッショナルの面接では不必要なものだ。その後,夏頃に東北学院に運良く拾ってもらえることが決まった。

1995年の当日,登校すると担任に親類は大丈夫だったかと聴かれた。朝の時点では電話が繋がらなかったのでわからないと答えたような漠然とした記憶がある。その後,児童会の関係で募金活動をしたのを覚えている。いつもの赤い羽根募金などよりも多くの,遙かに多くの金額を皆は寄せてくれた。

その後中学の1年の終わりにまた親の転勤の都合で神戸に戻った。小学校1年生の終わり頃から居たので都合6年を白河で過ごした。中学校は1年だけの滞在だったが,僕は相対的に成績がよくて,ほとんどのテストで学年で1番だったと記憶している。その後引っ越した神戸の公立中学では20番ぐらい。中学受験に失敗した子達であるというのに,都会は頭の良い子が多いなとおもった気がする。その神戸の中学でもその後1度だけ1番を取ることがあったが,正直500点のテストで482点とか487点とかそういう争いなので,1度とったら満足してしまって,あとは7番ぐらいだったような気がする。高校に至っては10番以内に入ることもなくなってしまった。

社会科学系の研究者になって,教員になって,教育社会学や教育経済学系統の本を読むようになって気がつかされたのは,地方自治体には子どもを教育することにお金を使うインセンティブがあまりないということだ。日本人は比較的引っ越し回数の少ない民族なのだが,それでも生まれた土地と違う土地で働き納税する人は多い。最近の保育所不足などの議論も同様の構図なのだが,出て行って結局納税してくれない人にも投資をするというのは自治体のインセンティブにそぐわないことなので,これは自治体に任せている限り過少供給になる仕組みなのである。地方部で仮に,能力の高い人ほど出て行ってしまう傾向がある場合には,さらに教育事業はさらに割に合わない投資としての性格を強めることになる。学者であれば,「○○県はなぜ教育熱心なのか」ということの方が不思議さがあり,良いリサーチ・クエスチョンとなってしまう(下記追記参照)。

自分の話に戻る。僕の未成年時代は,事後的に振り返ればずいぶんなフリーライダーとして生きてきたことになる。白河市の税金,神戸市の税金,兵庫県の税金によって教育され,その後東北学院に来るまでの10年は国税で生かされ,結局のところ東京で人生の一番多くを過ごしている。僕は他人のカネを使って勉強して,稼ぐ能力を得た。白河の人たちは神戸の時には多くの支援を寄せてくれた。そして3・11では大変な思いをされてきた人たちの納めた税によってまかなわれた教育に多くを負って僕の能力はある。

これは現状の事後正当化にすぎない表明なのだけど,今東北の地で生活する時間があることに僕は感謝している。ここで仕事をすることに社会的な意義を感じられる。また,この遠い繋がりに恩義を実感として受け止められることは幸せなことだ。その繋がりを感じられるのも,義務教育を経て,大学での社会科学のトレーニングを,この国の誰かが税金で,また自分の親や誰かの親が学費を払ってまかなってくれたからだ。何年居つづけられるかわからないが,一生居られる土地になればこの上ないが,できれば最低でも幼年期をすごしたのと同じぐらいの時間は,この土地で生活し,仕事をして,良い大学をつくり,少しでも恩を返せたらと思っている。

3・11の黙祷に代えて。

2016年3月12日追記。地方に焦点をあてた教育社会関係の本のまとめをブクログにつくった。吉川(2001)は島根県を対象に上述の問いを検討している。石黒ら(2012)には青森から上京した人達の人的ネットワークに関する分析がある。山内ら(2015)は島に高校を残すことが地域社会に及ぼす効能とその尽力にあたった人々の苦労に焦点を当てている。