河野真太郎先生(現・専修大学)の一橋退職記事が話題になっている。
読むに,組織の中で圧力をかけられてお辛かったであろうことは非常によくわかるので,あまり反論めいたことを書くのもどうかとおもったのだけど,一橋商学部の語学教育改革については賛否あると思うので,主に母校のことが気になる同窓生向けにメモしておこうと思う。
私は一橋大学大学院商学研究科の博士後期課程を2013年に修了したので,最近のことはあまり知らないのだけど,商学部に2003-2007,修士課程に2007-2009,その後博士後期課程と足かけ10年在籍したので,ちょうど語学教育改革を先生方が進めていたのをなんとなく眺めていた立場になる。
正直,語学教育改革についての僕の印象は「結構前のこと」だ。学部の頃から英語の統一テスト(通らないと卒業できない1年生の年度末にあったテスト)が廃止されるであるとか,徐々に語学教育は変化が生じていたように思う。その次にやっていたのが第二外国語の必修を外して,実用的な英語に特化しようということ。全学共通教育センターのページをみると,今は第二外国語が必修なのは法学部と社会学部だけで,商学部と経済学部は必修ではないようだ。
で,代わりに強化された新しい英語のプログラム。商学部のサイトを見ると,「PACE(1年生)とEDGE(2年生以上)」という項目がある。これがおそらく新設されたプログラムにあたるのだろう(僕の学部時代にはなかった)。
曰く,
「2012年度から独自の科目を開設し、商学部の学生の英語コミュニケーション・スキル向上に努めてまいりました。現在では、これが全学的に拡張され、全ての学部1年生が履修するPACE(Practical Applications for Communicative English)に発展しました。」
河野先生の記事に僕が違和感を覚えるとすれば,商学部の場合,新自由主義の影響でやむにやむなく推進したというよりは,まさに自分たちの問題意識として引き受けて,改革の急先鋒であったのが商学部であったと僕は理解している(新自由主義という言葉の指し示すところを僕はよく理解していないが・・・)。
2年生以上のEDGEについても,
専用のサイトがあって,こちらも僕の在学中よりも随分とコンテンツがそろっていて良いなあと思わされる。
その代償が,河野先生の記事を引用するならば
その結果、人文学研究(それは文学部だけではなく、教養系の教員や組織によっても担われてきた)の継承は、危機的なものになりつつある。例えば、上記の記事で述べた通り、英語やフランス語などをまともに翻訳できる人間が──また、まともに翻訳するとはどういうことかを理解している人間が──日本からいなくなるような事態は、誇張ではなく想定される。
ということになる。僕の感覚では,日本の大学の全てから教養教育がなくなってしまったら困るけれども,一橋大学商学部は元々,多少高度な商人養成学校であって,商学部がこの実用英語重視のポジショニングをとることはやむを得ないのではないか,というところだ。
それだけに,おそらく河野先生は辞めて正解だったと思う。このまま居つづけても辛いだけだっただろう。専修大学が今度こそ適材適所であることを祈りたい。
同時に,今回のような記事を書いたとしても,経営管理研究科の先生方には響かないだろうなとも思う。彼らは代償があることを承知の上でこの改革を進めてきたのであって,外圧のせいではない。実際,噂に聞いた限りでは一橋の学生のTOEICの点数は在学中に伸びるようになったらしい。おそらく経営管理研究科の先生方にとって,英語改革は成功事例として認識されていると推察される。
日本全体の教養教育については僕も危惧するところがあるし,一橋の”カイカク”を模倣した大学だらけにならないことを祈るが,一橋についてはこのポジションで良いのではないかと思う部分もあるので,一応書き記しておこうと思う。