大学のセンセイはリスクをとらないの?

タイトルは煽りです。「経営学者です」なんて自己紹介するとですね,あーこの人「じゃあ自分で経営しないんですか」って言いたいんだろうな,という気配をひしひしと感じることがあります。アントレプレナーシップとかイノベーションとか教えているとなおさらですね。結局リスクテイクの勘所というか,最後にわからない状況下で意思決定していくところに迫っていくのは,経営学が他の学問と違うおもしろいところでもあるのですが,いかんせん自分でやっていないのでわからないところが残ってしまうもどかしさもあります。

ところで,一昨日,学生から質問を受けました。「先生,大学の先生が共産党批判に読めなくもないようなツイートして大丈夫なんですか?」

ツイートはこんな感じの内容です。質問のポイントがどの辺にあるのかよくわかっていなかったので,僕の答えは多少まわりくどかったです。まず,中高の先生の場合だと,教育において政治的に中立であることが強く求められるので危ないかもしれないということを先に述べました。次に大学の先生の場合だけれども,基本的に言論の自由は強めに保証されている身分なので,教育活動外であれば,政治的なことを何か言って大学から辞めさせられるという可能性は低いこと。

ここら辺まで喋って,ああ発言に伴ういろいろなリスクのことを心配してくれているのかなということがようやくわかってきたので,大学のセンセイは社会における発言リスクをとるべき立場でもあるという持論を少し話しました。

どういうことかというと,例えば,普通の会社員が実名で政治的なことを発言するというのは,まあリスクが高いわけです。それに比べると大学のセンセイというのは,比較的言論に関してはリスクをとることが許されている立場である。もちろん専門的見地について発言するための自由であって,なんでもかんでも喋ることがフリーハンドで許されているわけではないし,デマやフェイクニュースに騙されないようにすることは,社会的信用があるだけに人一倍気をつけないといけないのですが。

発言が許されているという解釈をもう一歩踏み込むと,社会全体の中で,発言するリスクをとることを分業として担わされているとも言える。「リスクをとって発言しても大丈夫」ではなくて,「発言するリスクをとることを仕事として社会から任されている」,こういう言い方は都合が良すぎるでしょうか。身分の安定した大学教員だからこそ,普通の会社員の代わりに発言しているという側面があって,普通の人が言いにくいことを言う機能を担っている。多様な言論を戦わせる言論の自由市場のような空間があって,そこにリスクの高い,普通の人が言わないような言論を放り込む役割を社会の誰かが担わないといけない,その役割を大学のセンセイは担っていると考えることもできるのです。

企業経営の話に戻りましょう。最近はNPOや社会起業,政策起業家・制度起業家というような,ただお金を稼ぐだけでなく,なんらかの社会問題を解決しようとする起業の在り方が増えてきています。彼らはとても大変で,金銭的リスクと言論リスクの両方を取りに行きます。これはすごい。普通の大学のセンセイは,金銭的リスクをとらないから言論リスクをとれるのであって,社会的起業家は両方やっていくわけです。出発点がヤバイ。

ただし,リスクは特定化すればヘッジすることもできます。金銭的リスクも,為替リスクや倒産リスクなど,細かく分けていけばお仕事として引き受けてくれる金融機関が現れます。

大学のセンセイも,自分の専門的な内容に関しては,言論リスクをコントロールすることができます。身分が保証されているだけの存在ではなく,これ以上言ってはいけないという線を引くことや,主張の限定の仕方,主張の強さを決める表現のニュアンスにとても敏感で,そのためのトレーニングを日頃からしています。このトレーニングには,自分の意見が間違っていたら誤りを認めることも含まれます。普通の会社員の人が政治的・政策的発言をするよりは上手に言論リスクをコントロールすることができます。

事業のアイディアはあるけどお金がない人と,事業のアイディアはないけどお金のある人を結びつける仕組みは世の中に広く発達しています。同様に,言論リスクについても,上手くリスクを分割して特定化していくことで,シェアしていく仕組みが作れないものか,最近僕はそんなことを考えています。例えば,広告の炎上リスクなんかは企業人が内部監査するよりも,人文系のドクターを持った人間に外部委託する方が上手くリスクを識別し表現できるのではないかと思います。

世の中には生きづらさを抱えて,でも声を上げたくても上げられない人が大勢いる。逆に,例えば大学のセンセイの中には,社会的に発言する自由を余らせている人もいるはずです。ここをマッチングさせる仕組み,言論リスクをシェアして社会を変えやすくする仕組みを作れたら良いなと思っています。

リスクテイクは慣れの問題でもあるので,実際にリスクをとってみないとわからない部分は多々あります。僕自身,最近ようやく社会に向けた発言を始めたばかりで,リスクを実際にとってみることで勉強している最中です。でも,やってみてわかったのですが,リスクをとったことのある人は根性論に陥りがちです。ちょっとどきどきしたけど,過ぎてしまえば簡単なことなのに他の人はなぜやらないんだろう,そういう自負に繋がりやすい。

僕は,リスクは根性論だけじゃなくて仕組みでなんとかできる部分もあるだろうなと思っています。「日本にはアントレプレナーが足らない」という問題提起を,冒険心の欠如のような根性論に終わらせてはいけない。リスクは,漠然としているからこわいのであって,リスクの種類を分けて特定して,説明責任が果たせれば,普通の人でも充分に取り扱えるものです。がんばってなんとかする部分もあるけど,がんばらないでなんとかする部分もあるのです。

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