くりかえし歩くこと

2月・3月は東京と仙台を往復する生活をしている。5年ぶりの東京住まいであるとはいえ、前に住んでいたのは国立市という多摩の西の方で東京駅からは電車で1時間ほどかかるところだった。今度の職場は渋谷、住居も渋谷から二駅の都心部なので、事実上別の土地だ。

まだ、仙台に行くと「帰ってきたな」という感覚が強い。仙台に着任した当初は、数ヶ月経ってもずっと旅を続けているような感覚があり、落ち着かなかった記憶がある。いつの間にか慣れ、仙台も僕にとって住んだ都の1つになっていたようだ。

新しい土地で、ひたすらに部屋を片付けたり、物を書いたり、読んだり、電話をかけたり、メモをとったり、それでもやることがなくなったら街を歩いている。PCに入力するのも、手書きでメモをとるに疲れても、歩きながら考えることはできる。頭がいっぱいになったらまたキーボードに向かえばよい。

なるべく同じルートで、少し寄り道しながらも、くりかえし、くりかえし歩く。これは僕が精神的に不調に陥ったときにする再起動ルーティンのひとつだ。今は特に不調というわけではないのだけども、それでも歩くことは意外なほどに有能感をあたえてくれる。知っている道を歩くことが重要なのかもしれない。次の角を曲がるとどのような景色が見えるかがわかっていて、角を曲がり、予想通りの景色が現れる。

初めての行き先へ行くときの「アクセス:徒歩○分」は遠く感じる。全てが初めてで、気がはっているのだろう。知らないホテルの部屋に泊まるのは意外と疲れる。ところが2泊目からはもう自分の住まいのように振る舞える。適応の早さに驚くことがある。

一時期民泊を使って安い民家に泊まっていた頃は、一泊目の違和感が強かった。ホテルだって、なんだったら自宅だって、そんなに完璧に衛生的ではないと思うし、自分は潔癖性ではないのだが、他人の家というのは何かと衛生面が気にかかる。知らない人の気配が残っているのが気にかかるのだ。ところが2日目の夜にはもう自分の寝床である。寝る場所の適応は早い。

新しい街への適応はもう少し時間がかかる。出張であればとりあえず飲み水が確保できればよいみたいな部分があるが、生活するとなると、ゴミ出しのルールが覚えられていなかったり、最寄りのスーパーのどこに何があるのか棚の位置が把握できていなかったりする。新しい作業には事欠かない。

新しいことに疲れてしまって何もできなくなるのは早いが、1日の時間は余る。そのような時に歩く。適応したことを確認するために歩く。

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