外側の世界「社会科学」から紹介する経営学
前回は経営学の中身について書きました。今度は経営学を紹介するために,経営学の外側の世界,いわゆる社会科学と呼ばれる学問領域について,ごくごく簡単に紹介したいと思います。想定読者は進路を選ぶ高校生ぐらいですので,厳密ではない描写もありますがご容赦ください。
文系でも理系でもない「社会科学」という新キャラ
高校までの科目は漠然と文系と理系の2つにわけられますが,大学からはおおよそ3つにわけられます。人文学と社会科学,自然科学の3つです。人文学がおおよそ高校の文系,自然科学が高校の理系に対応しますが,実は社会科学というのはみんな大学に入ってから初めて取り組む学問なんですね。スポーツで喩えるとラクロスとかアイスホッケーでしょうか。高校の部活にはなかったジャンルが突如として登場するのです。小中高の先生も基本的には人文系か自然科学系の教育を受けてきているので,あまり社会科学という学問分野については知らなかったりします。なので,ごく簡単に社会科学という学問領域の見取り図を提供したいと思います。
社会科学の学問名は2種類の名付け方がごっちゃになっている
非常にややこしいのですが,社会科学には2種類の命名法の学問が混じっています。「考え方で定義される学問」と「考える対象によって定義される学問」の2種類です。中世風ロールプレイングゲームに喩えるならば,戦うための武器で定義される学問(剣術や弓術)と,敵の種類に関する学問(スライム学,ゴブリン学)が混ざっているのです。
なんじゃそりゃ,という感じですが,具体的にいうと「心理学」「経済学」「社会学」この3つだけは社会科学の武器であり,その他の社会科学と明確に区別されます。専門用語でいうとディシプリン(discipline,修行法)といいます。
その他の学問は社会科学の武器であるこれらの3つのディシプリンを使って理解すべき対象によって定義されます。「政治学」「教育学」「行政学」などなどです。僕の専門とする「経営学」も企業という対象を理解するための学問です。これらはいわば倒すべきモンスター達の名前がついているわけです。政治を理解したい,教育を理解したい,経営を理解したい,これらの学問のことを領域学といいます。
3つのディシプリンをそれぞれ紹介
社会科学には3つの武器があります。心理学・経済学・社会学です。これら3つ武器が経営学でどのように使われるかということを簡単に紹介しながら,3つの考え方の違いを見ていくことにしましょう。また中世RPGの喩えを使いますが,それぞれの学問の特徴から心理学はナイフ,経済学を両手剣,社会学を弓矢としておきましょう。
心理学:個人にはふたつ以上の心がある
ナイフは心臓に一刺しするのが最も効果的な使い方です。ところが,心理学が刺す対象である人間の心は,心臓と違って2つ以上あることがあります。例えば,我々の心の中では甘い物を食べたいという気持ちと,太りたくないので甘い物を食べないようにしたいとが戦っていることがあります。心理学はこのように2つ以上の心理が混在している時に,どういうときにどういう心理が勝つのかを明らかにする学問であるといえます。
具体例をもうひとつ挙げます。みなさんは「酸っぱい葡萄」というイソップ寓話をご存じでしょうか。
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。
wikipedia「すっぱい葡萄」より
狐の心の中には「葡萄を食べたい」という気持ちと「葡萄は届かない」という現実が葛藤(conflict)を起こしています。「葡萄は届かない」という現実は中々変えられないので,容易に変更可能である自分の気持ちの方を変えてしまい「こんな葡萄はどうせ酸っぱくてまずい」と思い直すことで,「葡萄は届かない」という現実と自分の気持ちに折り合いをつける,そういう話です。これは心理学で認知的不協和の解消と呼ばれています。
経営学でも認知的不協和の解消が説明に用いられることがあります。例えば,とても高価な買い物をした消費者は,購買後にその商品の広告を見ることが知られています。なぜ買い物をする前ではなく,買い物をした後に広告をみるのでしょうか。高い買い物をした消費者にとって,その買い物をしたという事実は動かしようのない現実であります。ところが,その人は不安にもなるわけです。実は自分の買い物は失敗だったのではないか。そのような不安は,買い物をしてしまったという現実と折り合いのつかない気持ちです。買い物自体をやり直せないのだとすると,気持ちの方を変えるしかありません。そこで,広告を見直して,自分の買い物は成功だったのだというように認知の方を作り変えるということが生じます。高価な物やサービスの広告は,まだ買っていない消費者のためだけでなく,もう買った後の消費者のことも考えて作る必要があるのかもしれません。
経済学:個人を基礎単位とする意思決定の科学
次は経済学です。経済学は両手剣です。両手剣の特徴は,1人1本しか持てません。心理学が2つ以上の気持ちを相手にする学問だったのに対して,経済学は「自分の気持ちは自分ではわかっている」状態を基本にして,自分と他人との相互作用を(個人と個人の相互作用を)分析する学問です。また少々横着してウィキペディアから囚人のジレンマの事例を持ってきてみましょう。この事例には経済学の考え方が顕著に表れています。
共同で犯罪を行ったと思われる2人の囚人A・Bを自白させるため、検事はその2人の囚人A・Bに次のような司法取引をもちかけた[6]。
- 本来ならお前たちは懲役5年なんだが、もし2人とも黙秘したら、証拠不十分として減刑し、2人とも懲役2年だ。
- もし片方だけが自白したら、そいつはその場で釈放してやろう(つまり懲役0年)。この場合黙秘してた方は懲役10年だ。
- ただし、2人とも自白したら、判決どおり2人とも懲役5年だ。
このとき、「2人の囚人A・Bはそれぞれ黙秘すべきかそれとも自白すべきか」というのが問題である。なお2人の囚人A・Bは別室に隔離されており、相談することはできない状況に置かれているものとする。
2人の囚人A・Bの行動と懲役の関係を表(利得表と呼ばれる)にまとめると以下のようになる。表内の (○年, △年) は2人の囚人A・Bの懲役がそれぞれ○年、△年であることを意味する。たとえば表の右上の欄(10年,0年)とは,「Aが黙秘・Bが自白」を選択した場合、Aの懲役は10年、Bの懲役は0年であることを意味する。
囚人B 黙秘 囚人B 自白 囚人A 黙秘 (2年, 2年) (10年, 0年) 囚人A 自白 (0年, 10年) (5年, 5年) 2人の囚人A・Bにとって、「互いに自白」して互いに5年の刑を受けるよりは「互いに黙秘」して互いに2年の刑を受ける方が得である。しかし、2人の囚人A・Bがそれぞれ自分の利益のみを追求している限り、「互いに黙秘」という結果ではなく「互いに自白」という結果となってしまう。これがジレンマと言われる所以である。
wikipedia「囚人のジレンマ」より
このように,囚人Aも囚人Bも自分の利得(損失)がどうなるのかについては予想ができる状況で,合理的に意思決定する個人を仮定して,個々の意思決定がどのような社会的な結果に至るのかを検討するのが経済学の基本であると言えるでしょう。
この囚人のジレンマ的な状況は,企業間競争でもよく生じます。仮に企業Aと企業Bの2社によりある製品が提供されており,新規参入企業はないものとしましょう。このときに2社はそれぞれ,価格を引き下げての相手の顧客を奪いに行くか,それとも価格を現状維持するかの2択を検討しているとしましょう。それぞれの利得は次の表のようになっています。
企業B 価格維持 | 企業B 値下げ | |
---|---|---|
企業A 価格維持 | (500万円, 500万円) | (0円, 1000万円) |
企業A 値下げ | (1000万円, 0円) | (100万円, 100万円) |
今度は先ほどの例とは異なり数字が大きい方が利得が良い状態であることに注意して下さい。相手が価格維持した状態で,自社だけが値下げをすれば利益を総取りできますが,お互いに値下げをしてしまうと,利益は両社とも下がってしまいます(この場合は消費者が得をすることになります)。参入企業が少数の時はお互いに暗黙裏に協調して,なるべく値下げ競争を起こさないようにすることが企業の利益増大のために重要となるのです。
社会学:個人を越えた力を考える,社会科学の飛び道具
最後に,社会学の考え方を紹介しましょう。社会学は弓矢です。それも集団で討つ大量の矢のイメージです。弓兵は入れ替わり立ち替わり矢を射るので,敵に当たったとしてもその矢は誰が放った矢であるのかは戦場ではわからなくなってしまいます。集団で射ることで面制圧する矢に似ているのが社会学です。
心理学が個人の中にある心理を基本単位とし,経済学が個人を基本単位としたのに対して,社会学は個人を越えた集団に備わった,共通の特徴を分析対象とします。つまり,個人を越えた「社会」というなにがしかが存在し,個人に影響を与えると考えるのが社会学の特徴です。例えば,高校の運動部の人であれば,皆がある程度スポーツマンシップであるとか,監督や上級生の指示に従うことであるとか,共通の特徴を備えています。この特徴は不思議なことに,皆さんが高校を卒業して3年が経過して,運動部員が全員入れ替わったとしても,後輩の運動部員の人達は,何らかの「運動部員らしさ」を変わらず共通して備えていることでしょう。このような社会や組織,あるいは制度のもつ力を分析するのが社会学の特徴です。
社会学の例として,準拠集団の概念を見てみましょう。
人間は、常に自分一人だけで思考や判断を行うわけでは無く、自分の周囲の他者を基準にしてそれらを行っている。準拠集団とは、自分の意識や態度を決定する際に基準とする集団のことである[1]。 例えばあるブランド品を「みんなが持っているから」欲しいといった場合、その「みんな」は準拠集団である。この「みんな」は人間全てを意味するのではなく、自分が所属する特定の集団の事である。
ロバート・キング・マートンは準拠集団には「規範型」と「比較型」の2つのタイプがあると論じた[1]。規範型準拠集団は個人に対して意見や振る舞いのヒントなどを与える集団であり、比較型準拠集団とは自分や他人を評価する基準の枠組みを与える集団である。
wikipedia「準拠集団」より
この例は直接的に経営学に近い例ですね。広告の作成やブランド形成においては,どのような芸能人を採用するか,そのタレントが消費者に対してどのような「振る舞いのヒント」を与える規範となるのかといったことが非常に重要になります。ファッション誌に専属モデルがつくのは,まさにそういった(規範型)準拠集団の形成を狙っている例であるといえるでしょう。
まとめ
社会科学の中には様々な学問がありますが,その中でも特に重要なディシプリンと呼ばれる3つの学問,心理学・経済学・社会学について,経営学との関連を例に出しながら紹介してきました。この3つが武器なのだなということが理解できていると,例えば「教育経済学」という学問は教育分野という関心に対して,経済学を武器にして戦う分野であることが理解できます。「家族社会学」はどうでしょうか。家族を対象に,社会学的アプローチで考える学問ですね。いろいろな学問名の後ろに「心理学」「経済学」「社会学」がついていることが多いので,是非本屋を巡っていろいろな社会科学の学問分野に触れてみて下さい。長文のご購読ありがとうございました。