11ヶ月ぶりに女川駅近辺に足を運んだ。昨年の3月末に,女川駅が復旧したてだった時に遊びにいったのだけど,今回は更にいくつか復興が進んでいるようだったのでまた行ってみた。
前回行った時は仙石線も仙台から松島海岸駅までで止まっていて,一部は代行バスだったのだけど,今回は仙石線も完全復活していて,さらに東北仙石ラインという新しい路線もできていた。乗り鉄というほどの趣味人ではないのだけど,復旧した部分と東北仙石ラインの新しい線路の部分は行きと帰りでルートを分けて乗ってきた。
仙台から2時間以上かけて女川駅へ。去年はこんな感じで駅前は更地だった。
今回行ってみると商店や土産物屋,カフェ,飲み屋などが10数店舗オープンしていた。すごい変化だ。
前回行った時も,今回も,正直に言って現実感のなさがつきまとっている。その現実感のなさを2回目の自分はやや自覚的に消費していることに少し後ろめたさがある。
被災前の女川町は写真でしか見たことがない。今回も見た。街中に交流館があって,被災と復興の展示スペースがあった。写真に写った町並みはまさに今立っているその土地であり,その街並みが今はないことも不思議な感じがする。自分の想像力の限度を超えたことは想像ができないということはわかる。その展示スペースが何かを伝える場所であることもわかる。被災や復興に直面した人が何かを伝えようとするであろうことも,あるいは閉ざしたくなったり忘れたくなったりするであろうことも,想像が付く。でも彼らと自分の間には谷があって,結局のところ”それ自体”は谷底に落ちてしまって僕には見ることのできない何かとなってしまう。
11ヶ月前にただただ更地と電柱と盛り土だらけの光景も異様だった。A列車で行こうとかシムシティの初心者向け初期マップが現実にあらわれたような,ただそこに駅だけがあり,人工的な道路と電柱が通り,しかし他になにもない,20分歩かないと食事もできない,そういう場所だった。
その何も無かった場所に今回は街がある。人の往来がある。外国人観光客も居る。名物をだす定食屋に行列が出来ている。にぎわいがあり,テレビカメラの取材があり,売り子さんと観光客のかけあいがある。
花屋の横を通ると,その花屋の子であろう小学生が,ウインドウディスプレイの拭き掃除をしている。大きな机を動かして,机の上に乗り,洗剤をスプレーし,一番上までモップで伸ばす。日曜日のお手伝いなのだろうか,それとも毎日やっているのだろうか,親とどういう会話をして窓ふきをするに至ったのだろうか。新鮮な作業として楽しんでいるのだろうか,それとももう慣れたのだろうか。生活がある。
ここはマトリックスか,インセプションか。非常に精巧な夢を見ているのではないかと疑ってしまう。パプリカがでてきて,治療が必要だと宣うのか。嘘のような社会がある。
5,6件店を回り,物を買ったり,コミュニケーションをとったり,他人の会話を盗み聞きしているうちに少しだけ現実感がもどってきた。観光客気分が7割ぐらい,あとの3割で,どういう接客になっているとか,客の動線とか,プライシングとか,そういう普段の目線で物を見るようになって,経営の意思決定の重さだけは現実感を与えてくれる。
話題になっていた段ボール製のランボルギーニ(ダンボルギーニ)とか,前回行った時に開催中だった女川ポスター展の全集があったので買ったりとか。話題を作って,話題が拡散するように工夫して,オリジナルでクリエイティブな要素がちゃんとあって,海の幸だけじゃない。小さいながらに楽しめる,きっちり手作りの観光地。
物産店でカード決済ができるようなのでクレジットカードを使ってみる。iPadがレジになっていて,暗証番号をいれるリーダーもiPadと無線で通信するタイプの物が導入されている。「無線でできるなんてハイテクですね」「そうなんです。少し(照会に時間がかかり)お待たせしてしまうんですけど」そう,初期コストやランニングコストは安上がりだがスピードや安定性は犠牲になる。スーパーやコンビニのような待たない大規模システムで慣れている客にはギャップを感じる部分かもしれない。ほとんどの客は気にしないと思うが,むしろレジ係当人にとってお客さんが目の前にいるのに何もしない待ち時間があるというのは気持ちの悪いものなのだろう。その時間の埋め方を考えないといけない。円滑にするにはどうすればいいか。話しかけるには短く,黙っているには長い待ち時間がある。大きな問題から小さな問題まで,いくつ見つけていくつ考えられるか,大きな意思決定から細かい接客の仕方まで,いろいろな問題が繋がっているのが見えるかどうか。その繋がりを追っている時だけは僕は現実に戻ってきた気がする。
誰かが意見を表明し,説得し,合意を形成し,他人の助力を得て,そういったことがなければ被災地は更地にすらならないし,街は勝手に生えてこない。誰かの合意形成や意思決定があったから4年かけて更地になって,5年かけて商業地ができて,イベントができて,観光スポットになった。
それでもだめかもしれない。10数店舗のうち,いくつかは維持が難しいかもしれない。観光だって今がピークかもしれない。設計されたとおりの街にできるかもしれないし,形は違ったけど結果良い街になるかもしれない,設計されすぎて上手くいかないということもある。この種の不安は僕にはよく理解できる。変な話,多くの人の死よりも,身近な生活の不安の方が実感としてはよくわかる。
でも,無責任なコンサルティングを始める前に,僕は帰る。休日の観光客は,少し現実から離れて,別の現実にいたって,また自分の現実に戻る。それが観光客だ。持って帰ったお土産を眺めて,余韻を楽しみ,また月曜日を迎えるのだ。