久々に軽部先生(僕の副指導教員です)の『関与と越境』(2017年,有斐閣)を読み直しました。
読み直したのはトップマネジメント論のレビューを読みたかったからで,三品先生や藤本先生の本をどうレファーしているのかといったところだけを再読するつもりだったのですけど,なんだか気になってしまって結局一晩延々と読み直すことに。
だいたいの感想はURLにある近能先生の書評と同じで,各章のばら読みには良いのですけど,一気通貫に通読しようとすると構想から実証へのアップダウンが激しい本です。論理的に破綻していてくれればいっそのこと諦めがついて読みやすいのに,なまじっか繋がっているので読者もついていかざるをえない・・・。(先生は読者の読解力にどんな期待をしているのでしょうか。)
もっと楽な本にできたはずという気はしていて,1章最終節からはじめて3章-8章で終わる「多様な関与のマネジメント」だけの簡単な本にして,おいしいところは次回作にとっておいてもよかったし,1章2章9章の順に先に並べてしまって,前半と後半をもっとばらけた感じの本にしてしまえば,まとまりにはかけるかもしれないけれどもビジネスパーソンにはとっつきやすかったかもしれません。
軽部先生は指導とか講演とか役割期待をかけられるとものすごくその役割に徹してわかりやすく話されるのに,いざ自由な研究者モードになると,「え,今2,3単語の中にものすごい量の構想詰め込みませんでしたか」みたいな時があって,今回も読み直してみてあーそういう意味だったのねと今更理解するという発見がいくつかありました。
何度かよみなおして「関与」はなんとなくわかったけれども,まだ「越境」のワードに凝縮された構想をまだどれだけ理解できているのかわからないのが正直なところです。
例えば頻繁に海外に行く人にとって国境がだんだん意識されなくなるように,「越境」というのはバウンダリーが強いなと思ってる事前の段階や最先端の現場ではまさに“跳ぶ”必要があるのに対して,慣れてきたり一般化されると意識されなくなるので,伝えるのが難しそうな概念だなというのが1点(価値ある暗黙知が形式知化されていくプロセスに近いかもしれません)。
もうひとつは,2章ででてきたように近年はプラットフォーマーだとかビジネス・エコシステムだとか,なんとかがんばって越境するというよりも,どちらかというと越境しやすくするための補完的制度や市場整備に注力する人達や組織がいる時代なのだと思います。これも他力を活用する当人達には越境という意識はないと思うので,やはり「越境」がいまのところ大規模日本企業に寄り添った概念であるが故にかえって他の人たちに通じにくくなってしまう問題があるように思います。大規模日本企業への当事者意識がない人からすれば,なんでそんなところで躊躇している人たちをわざわざ相手にしなければならないのかという反感に至ってもおかしくない,そういう分裂は多分日本の中ですでに生じているのだと思うのですけど,このあたり,次世代の人たちにとっても共感可能なような「越境」概念には普遍的な重要性があるのか(9章にはその気配がある),大規模日本企業のコンテクストに固有の,いつかはみんな忘れていく概念なのか。もう少し多様な実践家を想定した(そしてできればもう少し簡単な)読み物を次は読んでみたいなと思いました。