コミュニティ作りとコミュニティ間の競争

山崎亮『コミュニティデザインの時代』の読書録。知人がStudio-Lに関わっているのと,カンブリア宮殿の動画を見たのだけどよくわからなかったので買ってみた。
http://www.youtube.com/watch?v=h1GqJQ38ltY
映像で見ると,地方行政向けのシンクタンク兼コンサルティング業,ぐらいの認識だった。単にフットワークが軽いとか,人付き合いが上手い以上に何かロジックをもっているかどうかは映像ではよくわからなかった。

本書の導入は明解だった。人口減少時代になれば,住民は今までのような行政サービスを受ける「お客様」では居られなくなる。まちのことは自分たちでやらなければならなくなり,コミュニティの重要性は増すであろう,としている。
この考え方は,研究者の感覚としても大体同意できる内容で,アダム・スミスは分業の程度は市場の大きさに依存するといっている。行政サービスの規模が小さくなれば,これまで社会的に分業していたシステムがより分業のなされない形態に戻っていく,ということも充分にありうるのだとおもう。これは技術が一定の状態の話なので,技術進歩によってそもそもの生産性自体が変わってしまうこともあるので,結果が正しいかどうかはわからないのだけど,理屈としては正しい。

ところで,ぼくはまちづくりというものが苦手である。よりかみ砕くならば,コミュニティやまちづくりに関心をもつ人に魅力を感じない傾向がある,というのが直観的な理解だからだ。ある地域から移動しづらい人と移動しやすい人という分け方をするならば,移動する人の方が,競争に乗っかった人なのではないか,と思ってしまう。職や教育機会を求めて,競争力のある人や将来に期待をもっている人は積極的に動く,あるいは実際に動かなくとも,動く選択肢をもっている。逆にとどまる人というのは,お店などをもっていてその土地にコミットしている人はともかくとして,あとはニッチな領域を目指す人,動きようのない社会的弱者,いずれにせよ,2番手以下にならざるを得ない。才能や能力の可能性を探索すると,コミュニティやまちづくりに身を置くのはちょっと戸惑ってしまう。

全体の傾向が人口減少であったとしても,減少傾向は一様に進むわけでは無い。(株)不動産経済研究所による調査ではマンションの販売件数は3年連続の増加だそうだ。 震災復興の影響があるにせよ,一部の地域ではどんどん縦に人が積み上がっていることになる。対照的に,都道府県別の空き家率のデータを見ると,山梨県がトップで20%を越える空き家率になっている。
コミュニティは,その土地に関わりのある人,その土地にやってくる人,誰にでも開かれている。同時に,魅力を感じてもらって,普通の人や,豊かな人に来てもらえるように競争している状態でもある。マクロな人口減少に対応することと,ミクロな人口減少に歯止めをかけること,ミクロな人口減少に歯止めをかけるということは,どこか別の地域とのトレードオフの局面があるはず。コミュニティ間の競争に関して著者がどう考えているのかは結局わからないままだった。Studio-Lのウェブサイトを見ると,必ずしも過疎地域に限った取り組みをしているわけではなく,結構都市部でのプロジェクトもあるので,個々のプロジェクトの比較に至った場合にどのような知見に至るのか,気になるところ。

とはいえ,本書には細々とおもしろい点が多く,楽しんで読むことができた。
・不動産業や大手ショッピングセンターなど,企業の中にも,その地域のコミュニティの価値に重要性を見いだす人が居る。
・役所の中でも,面倒な手続きや調整を押してくれる人を探すことが重要である
など,コミュニティに関わる人の類型をいくつか示している点。
・当初はデザイン以外の仕事を受注すると,デザインの仕事がついてきていたという連鎖反応
・エッフェル塔のデザインも当初は住民は反対していた,というアネクドートの用い方
・あまり多くを語っているわけではないけども,第4章のハウツーには工夫が多い。

などなど。

コミュニティ間の競争については,本書の内容を越えるので展開例はまた今度。

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