耐えよ。

昨日は学位記の授与式だった。大学院の卒業式というのは、学部の卒業式ほどは一体感がない。専門職(ロースクールとかMBAとか)と修士、博士が合同に会するので、面識のない人たちばかりだし、進路もバックグラウンドも、年齢も出身国もばらばらで。

4年前に修士の修了で出席した際には、そのような多方面に配慮した、漠とした式辞や来賓挨拶に辟易とした記憶がある。

今年の学長(山内進先生)はご自身の話をされた。純にアカデミックな研究者としての話を。修士の時、博士の時、その後の研究。歴史家らしい、無理な一般化や含意を引き出そうとしない語り口は、その場に会した多様な学生たちの何割に伝わったかはわからない。

先生の意思に反するかもしれないが、その内容を要約するならば、学修したことが実際に研究として結実するまでには、時間を要することがある、ということなのだと思う。血肉となるというか、有機的な結合を果たすというか、そこにいたるまでには、もがき、あがき、さらに偶然のチャンスの重なりがある。それまで、耐えよ、今日はゴールではない。そう言いたかったのではないかと思う。伝わらないかもしれない話をあえて壇上でされたことに謝意を表したい。

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