基礎科学への財政支出についての考え方

ノーベル賞の受賞に伴って,日本政府は基礎研究への投資を増やせとか,今は30年前の投資で受賞できているけれども将来的には厳しいだろうというような悲観論がわきおこっている。国への投資を求めるには,国の立場に立って,国家にとってのメリットを考えることが重要だと思うので,いくつかの論点を書いておきたい。

「基礎科学は役に立つか?」という問いに対しては短期的(5年ぐらい)ではNo,長期的にはYesだと思う。この点に関しては常識的な論点だとおもうのでこれ以上論じない。短期的に役に立つんだ,という方面での論理を組み立てるのがどの程度生産的なことかはよくわからないが,返って自分の首を絞める論理にもなりかねないので主張しない方が良い部分もあるとおもう。

では基礎科学はどのように役に立つか。基礎科学の生み出した知識が技術的に応用されることで長期的に,また世界的にベネフィットは享受されると考えられている。10年とか20年とか50年とか100年とか。そういうレベルで世界的に科学的知識は普及していく。ただし,このような「教科書に載るような」知識は自国で生み出された知識でなくても享受できるので,各国家が投資するインセンティブは小さい。

短期的な関係は逆であることの方が多い。基礎科学がお客さんで,基礎科学を対象とする独特の計測技術などが開発されることがある。言い換えれば,技術が発展することで科学が発展する側面がある。基礎科学という最初のお客さんが国内にいることで,供給技術サイドでのイノベーションが国内に育つことは期待できるかもしれない。基礎科学が短期的に役に立つという主張をするよりは,周辺産業の効果をアピールする方がまだマシだとおもう。

教育的効果について考えてみると,国内に基礎科学の研究者が多く存在することで,日本語の解説書が充実するなど,メリットの一部は国内に限定して発生するだろう。教育投資の基礎として国が投資するメリットはあるかもしれない。ただしこの手の教育的コスト・パフォーマンスでいうならば,初等教育や保育に投資した方がメリットは大きいと思われる。

研究費の増大をめざすためのアナロジーとして,防衛への支出と環境保護への支出を比較対象として考えてみる。防衛への支出と基礎科学への支出は,どちらもインクリメンタリズム的な予算策定プロセスとの相性が悪いという点で共通している。前年度比で戦闘機を1機増やしたからといってそのことが国家の安全をどのくらい上昇させるのかは明確でないように,前年度比で10億や100億基礎科学に投資を増やすことがどのようなリターンの増分となるのかは明確ではない。この点については被引用数上位1%などの中間的な成果指標の開発と,それぞれの成果指標に関する正確な理解が政治家などに普及することが求められるところだろう。大学ランキングについての理解など。(防衛だとこのあたりの中間的成果指標はどうしているのだろうか。不勉強なのでよくわからない。)

基礎科学の研究投資を増やすために最も参考にすべきなのは,環境保護に関する国際的な取り組みだと私は考えている。結局のところ基礎科学のメリットは世界的に享受されるわけだから,各国政府が協調して投資を互いに強制させていくことが重要だと思う。その点では基礎科学者や日本政府は,ノーベル賞を契機に,ノーベル賞をまだとっていないようなアジア諸国に対して基礎科学への投資を増やすべく働きかけることが重要だろう。それらの効果は間接的に享受できるし,国外のポストが増えればそれだけ全体として生きていきやすくなる。オリンピック競技とは違って,他国の投資も自分たちのメリットになるという視点が重要だ。国際的な視野で互いが互いに間接的な増分をねらっていくこと,自国に対してはメリットではなくプライドを刺激することが重要だと思う。

 

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