こんにちは,経営学者の端くれの尾田といいます。経営学者なので労働問題やマクロ経済は専門外(謙遜ではなくマジの専門外)なのですが,ここ数日の「ファミマこども食堂」に関連するインターネット上の議論を見ていて気になったことがあるので書いてみようと思います。
ファミマこども食堂について寄せられている大きな懸念の1つは,「ただでさえ忙しい店長さんや店員さんの仕事をこれ以上増やすのか」といった懸念であると思います。
この懸念についてすこし整理を試みたいのがこの記事の意図するところです。この問題は2つに分解できます。
①コンビニの店員さんが以前よりも多くの種類の仕事を担当すること
②,①の状況であるにもかかわらず,報酬で報われない状況にあること
専門用語でいうと,①は労働生産性の向上,②は労働分配率の停滞ないし実質的低下,ということになろうかと思います。
ツイッターの短い字数の議論を見ていて気になるのが,②だけでなく①も否定しているのではないかと読める議論があることです。僕は②に関しては懸念に異論はないのですが,①については社会的に望ましい部分があるという立場をとります。
1人の労働者が以前よりも多くの仕事をこなせるようになる(熟練)とか,より多くの種類の仕事をこなせるようになる(多能工化)ということは,日本にとって重要な生産性の向上であり,企業にとっても,消費者にとっても恩恵の受けられることです。特にサービス産業での生産性向上は喫緊の課題であるとされています。
労働者の立場に立つと,生産性の向上はきついししんどいことなので,一見生産性の向上に向けた取り組みというのは否定したくなるのですが,あくまでも悪いのは,生産性向上に見合った報酬が得られないことであって,生産性向上それ自体ではない,この区別が重要だと思います。
もし,生産性向上をミクロの現場で否定するということになると,これはマクロ経済レベルでいうといわゆる「脱成長論」(もう日本は充分に豊かになったから努力しなくていいんじゃないかという考え方)に近い考え方になります。あなたは「脱成長論」論者ですかときかれると,いやそこまで極端な考え方じゃないな,と少なくとも現役世代のみなさんは思い直していただけるのではないかと思います。
もちろん,日本社会の真の問題は生産性ではなく,需要の不足にあるのだから,生産性にかかわらずどんどん賃上げすべきだ,という主張もあるのですが,そのような立場に立つにしても,労働生産性①と労働分配率②の議論は分けた上でとりわけ②の向上を強く推進する立場として整理する方がわかりやすいのではないかと思います。