イノベーションに伴う迷惑と擁護について考える

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たまには本業の研究の話を書こう。僕が社会に対して伝えることがあるとすれば,イノベーションというのはそんなに自明にすばらしいものではなく,社会に生きる普通の人にとっては変化を要求する部分や,迷惑な部分もあるということだ。それでも,企業家は自分のやりたいことをやってみる自由があるはずだ,とも僕は思っている。僕がやろうとしていることは社会からしてみれば迷惑がられる企業家の冒険心を擁護することなのだろう(専門用語では,この冒険心に企業家精神(entrepreneurship,アントレプレナーシップ)という長い名前がついている)。

イノベーションというカタカナは中々に理解しづらいが,これまでの世の中になかったような新しい製品やサービス,ものの考え方,組織のあり方を世の中に提案し,受け入れられ,普及していくことを大きく一括りにした社会現象だと思ってもらえれば良い。発明とか,技術革新だけじゃなくてもう少しいろいろと”新しい”現象に使える大きな概念だ。

新しい何かが世の中にでてくるためには,社会にある既存の何かは失われていく。携帯電話が登場すれば固定電話の価値(かつては資産的な価値すらあった)は下がっていく。街中から公衆電話は消えていく。そのうちにスマートフォンにある「受話器」のアイコンの形の意味も分からない世代が社会の多数派となるだろう。

既存の何かは自然に消えていくこともあれば,必死の抵抗をすることもある。世の中に蒸気船が登場したときに,蒸気船に負けじと帆船の性能が急上昇したそうだ。この故事から,既存産業の性能向上のことを帆船効果と呼ぶことがある。

便利になるのは良いことだ。だけど,新しい便利さに付いていけない人もいる。ついて行きたくない人もいる。迷惑に感じる,嫌だなと思う,実際迷惑を被っている,まあいろいろある。

便利なもののはずなんだけど消費者が受け入れてくれないということはままあることで,普及(diffusion)の研究として,50年以上研究されている(エベレット・ロジャーズ(1963;2009)『イノベーションの普及』)。その他にも,さまざまな対立関係が考えられる。既得権益と新規参入の対立(経済的対立),サブカルチャー間の文化的対立(西海岸的な企業家文化 対 財界根回し文化),政治経済思想的対立(市場評価信仰のエリート 対 生活防衛志向の市民の対立)などなど。

社会が成熟していくほど,”既存の何か”(それは産業かもしれないし規制などの制度かもしれない)は増え,余白は減っていく。イノベーションを興すことが,既存の何かとぶつかる可能性は高まっていく。イノベーションの結果,より良い社会になるという保証もなくなっていく。それでも。それでも。それでも。まだ見ぬ可能性側に立ってそれを擁護することが僕の研究だ。擁護し得ぬものを擁護してみるための方法を考え,社会科学の蓄積してきた知恵を集め,とりあえずの武器を拵えることが僕の研究だ。