学習ポートフォリオの黒歴史化

5月は一度もブログを書かないまま終わってしまった…。学期中は教員業がメインになって,研究は片手間という状態。今学期は全科目アクティブ・ラーニング科目なので,授業外の採点やコメントの時間が多い。ただ,今年度からほぼフルデジタルで授業をできる環境になって,レポートや課題の提出も返却・コメントも,出席管理も,学生との間で紙のやりとりがなくなったので割とその辺りは楽になった。

デジタル化の副次的効果として,課題はなるべく毎回蓄積されるようにやり方を変更している(まだ中途半端だが)。例えば毎週の要約課題や中間報告などは,毎回別のファイルにするのではなく,同じファイルにスライドを追記させて提出するようにさせている。その方が前にやった内容を見返しやすくなるし継続性がでる。提出がデジタルなら多少容量が大きくなっても問題ないので,これは学生側にとってのメリットが大きい。フローではなくストックとして,学習結果がアーカイブされていく。

教育業界用語では学習ポートフォリオというらしい。美大生のポートフォリオ(作品集)を他の学問領域に拡張したようなイメージだ。経営用語でいうと投資先を分散させることを想起するかもしれないが,分散した書類をひとつのポートフォリオ(書類入れ)に「まとめる」というところが語源である。中学高校まではノートでまとめているので何を今更といった印象かもしれないが,大学はばらばらの書類がばらばらの教員によってばらばらの様式でやってくるので,デジタル化で統合はしやすくなるのだとおもう。

課題が蓄積していくと個人の努力量が目に見えてわかるようになるので,可視化された分,毎回の積み重ねが努力の結晶になるプラスのフィードバックと,「先週サボってしまった…」という穴の空いたポートフォリオからダメージをくらうマイナスのフィードバックの両方がかかっている。

さらに,いくつかの授業でグループワークの比率を下げて,個人ワークが6割,グループワーク4割というぐらいのバランスにしたことで,これもグループワーク内でのフリーライドが許されなくなって,楽をしたい学生にとってはなかなか厳しい科目設計になってきた。

等々いくつかの変更の結果,全体として課題の量は減らしているのに,学生にとっての負荷は上がっているように見えるし,教員側からするとなんとなくパフォーマンスが下がっているように思えてしまう(見えてなかったフリーライドが許されなくなっているだけなのだが)。

長期的な影響はまだよくわからないが,黒歴史がたまっていく学習ポートフォリオというのができるとすると,自分で自分の努力量に向き合うのが大変になるんだろうなと思っている。

もちろん講義のスライドなどは全部PDFでまとめて渡すので,「役に立つ」授業をする教員の責任と,授業内容を「役立たせられる」学習者の能力の責任はより明確に峻別され可視化されていくのだろう。