22年前ということ

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阪神淡路大震災から22年が経過したらしい。22年ということは,僕が普段接している東北の大学生達は全員が,西の方の大地震のことは知らないということになる。

数ヶ月前に入試の面接とやらで高校3年生と話す機会があった。僕の目の前に居る彼らは17歳ぐらいで,6年前の東日本大震災のときは11歳。僕の22年前が10歳なので,震災を同じぐらいの年頃に経験した世代なのだなということを面接をしながら考えていた(僕の大地震との縁については昨年別のエントリで書いた)。その面接では,多くの生徒が東北の復興のためにがんばりたいというようなことを志望動機として語っていた。

幼心に大変な経験をしたのだと思うけれど,時間経過を考えるともう少しその記憶から離れて自由に生きても良いのではないかなという印象を抱いた。君たちが君たちの目の前にいるおじさんぐらいの(一応「働き盛り」と称される30過ぎぐらいの)年齢になったころには,東日本大震災から数えてもう20年とか,そのくらいの経過が過ぎている。それまでにおそらく日本はまた大地震を経験し,東北の経験や爪痕は行政対応としてはどこかでマニュアル化され次へと生かされていき,記憶としてはよくもわるくも忘れられていく,沿岸部の復興もどこかで落としどころに落ち着いていく。そのくらいの力が20年という時間にはある。自身が西の震災のことを知らないように,人数は少ないかもしれないが,東日本大震災のことを知らない世代が確実に生まれてくる。

復旧も復興も,結局は今居るおじさんおばさん達の世代の仕事である。それが上手くいくかどうかは分からないし,次の世代には,大人達の仕事ぶりがよかったかどうか,どう間違ったかを評価する目を養い次に生かす必要はある。ただ,時間の経過を考えるならば,次の世代のやるべきことは,やりたいことは,復旧・復興とはまた別にあってもいいとおもう。それを探す時間として大学生活を使ってもいいのではないかと思う。時間が流れれば社会は変わるし,自分も変わる。その変化を読みながら,好きに生きる,自由に生きるために学ぶ場所であってほしいと思う。