読み物としての成績表

昨晩,前期の学生による授業評価アンケートが返ってきた。前期末に配付回収して,後期の始まるタイミングで自由記述含めてフィードバックが返ってくるのは良いなと思う。

評点や自由記述をみていると,高評価であってもどう受け止めればいいのか判断に迷う項目が多い。手放しで喜べるのは,教員の熱意を感じた理由という項目で「授業への準備」という項目の評点が突出して高い(2科目どちらも回答者の8割以上がマークしている)ことぐらいか。

感覚としては1,2年生は専門以外の,就職活動の売りにはできないけれども生きていく上では大切なことを広く学んでおいた方が良いと思う。しかし,2年生のゼミ形式授業で高く評価されたのは,トピックが戦略論の専門的な内容であったことや,エクセルやパワーポイントが使えるようになったという部分だった。

後期の1年の授業は専門外のトピックに変えてしまった(筒井淳也(2015)『仕事と家族』中公新書を読む)ので,この種のモチベーション喚起は期待できない。普通に暮らしていたら読まないような内容で,良い本を読ませることには意味があると思ってのことだが,どこまで当事者の反応を真に受けるべきかは難しい。

自分を振り返ってみると,僕はあまり良い学生ではなかったというか,学校制度やカリキュラムの意図通りの成長はあまりできなかった方で,興味の持ちどころがわからない本と,つかず離れずでつきあうということがなかなかできないままに学部からD1ぐらいをすごしたので,個人としてはカリキュラムや制度に全幅の信頼を置いているわけでもないし,やりたいときにやりたいことをやるときのモチベーション喚起の効果はよくわかる。

教員としての自分はあまりモチベーションや人間関係でマネジメントするのが得意とは言えないので,それらを優先したやり方はやらないとおもう。それをやるぐらいなら,できる準備を丁寧にこなし,他者と制度を信頼して標準的にできることをやっていく方が自分を活かせると思う。同時に,自分自身も神の目線をもっているわけではないので,他者の状況を読み切れていない部分も多々ある。他の教員がどういう比重で教育しているのか,学生は生活の中で各授業にどういうウェイトを置いているのか,それらが時々のモチベーションによってどうばらつくのか,教員間のコーディネーションをどの程度企図すべきか。

3年生向けの専門・講義形式の授業では,学生達は授業外での学修時間が少ないという自己評価をしている。課題を増やせばこの項目を改善させることは可能だが,学生や他の教員が座学とゼミのウェイトをどう考えているのかについては読み切れないでいる。正解があるようでもあり,相互の期待と思惑のコーディネーションの問題でもあるように見える。試行錯誤で解決するようにも見えるし,その場の反応に対応していたら方針がたたないようにも思える。推論しているうちが楽しいようにも,過剰判断をやめて仕事に戻れという気もする。