働きがいの定義に関する補足

前回のつづき。前回は適当に放置していた定義の問題について,守島基博先生のコラム「なぜ日本の会社は
「働きがい」がないのか」を読み直していたら,働きがいの概念について,至らなかったところや理解が進んだ部分があるので書いておきたい。

働きがいというのは,お金で報われることではない,という点については既に述べた。前回は賃金・給料という言い方をしたけれども,上記のコラムを読むと,働きがいは福利厚生や人事上の制度とも違うようだ。働きやすさと働きがいは違うという表現をしていて,これはハーズバーグの満足要因と衛生要因に似た概念区分であろう。

前回のエントリで,僕自身は働きがいというのはタスクとの関連性の強い概念だろうと想定していた。創作に没頭できる時間があるとか,接客でお客さんに喜んでもらうとか,マーケティングの結果がPOSで確認できて一喜一憂するとか,営業成績を競うとか,そういうタスクに付随する楽しさがあって,そのような楽しさであれば,タスクと共に売り買いできるだろう,と考えていた。また,このような楽しさは,個々人によって楽しいと思うタスクが異なっているので,適性がいろいろあって,配置転換等によって容易に損なわれうるものを想定していた。

こういう風に考えると,欲求に関する概念とは少し考え方が違ってくる。承認欲求とか自己実現欲求とか(実証的に問題のある概念なのであまりマズローをひきたくないのだけど,わかりやすいのでそのまま使う)そういう欲求単位の区分の場合,満たし方の手段は問われない。承認してもらうシチュエーションや相手が異なっていても,総じて承認されているのであれば,問題はない。ところが,特定のタスクにくっついている満足感というのは,そのタスク以外では満たせなかったり,別のタスクで満足感を得るまでにはある程度学習が必要になる。たとえば,マネージャーはやりたくない,ずっとプレイヤーでいたい,というようなキャリア欲求は自分の満足度がタスクに関連しているという意識があるのだろう。

コラムを読んでいると,働きがいに関する別の定義の仕方として,ワークであると共にライフであるという二重性を重視した定義の仕方もあることがわかる。組織と自分の同一性であるとか,裁量の広さがあって疎外されていないことが大事だとか,キャリアの長期展望が持てるとか,そういうことも働きがいだ,と。僕の考えていたタスク関連性の強い満足度とは焦点の当て方が違っていて,より長期視点にたっている。単に別の問題を考えているととらえることもできるし,裁量権については短期と長期で矛盾する部分もあるかもしれない。終身雇用が崩れてより問題になっているのは,こういう長期の部分なのだろう。

具体的な人事系の研究をしようとすると,ここから山ほど測定の問題が出てくるのだろう。本職ではないし,概念区分をミクロ方向に攻めるのはやめにして,僕の関心はもう少し抽象的な方にある。なので,この辺でこの話題はおしまい。